霊能者ヴォイス

私と叔母の体験談から、ひとつお話しましょう。
叔母は私とは違うのですが、霊媒体質で、普段はそうでもないのですが、時として霊的なダメージをそのまま受けてしまう事があるのですが・・・。最も最近は、高齢の為か、ひとつ、役目を終えたのでしょう・・護りが強くなりあまりダメージを受けるような事に遭遇する確立がほとんどなくなり平和な日々を送っています。むしろ勘の良さが強まり、私たち身内を護ってくれているようにすら感じます。ですからこれはかなり前のお話になります。

叔母の知人が亡くなり、その方の着物が形見分けと言う事で叔母の手元に届けられました。今は余りそんな事もしない時代ですが、亡くなる何年か前に「私がそうなった時は、この着物を形見に受け取ってね」と話が出ていたのです。叔母とその知人は古い付き合いでしたが、結婚してそれぞれ家庭を持ち・・・中々会う事も出来なくなり、それでも手紙等で近況を報告したり・・でもそれも年に何回か程度、会う事も何年に一度という感じで・・。子育ても少し落ち着き、やっと時間が取れ、最後に会った時の会話の中でそんな事が出たのだそうです。
「そんな先のこと、何言っているの」などとその時は話したそうですが・・・。その後も体調が悪いとも聞いていませんでしたし、訃報を聞き叔母もとても驚いたそうです。
それから暫くして、身内の方が遺品の整理をしていて手紙と一緒にその着物を届けられました。玄関先で着物を受け取った瞬間、ドンととても体に圧力の掛かる感じがしたと言いました。
手紙の方は至ってシンプルに《私の形見に・・・》と言う事だけが書かれていたのですが・・。その日の夜から叔母は体調を崩し、起きているのがやっと・・状態になってしまったのです。そんな事とは知らず、私は(当時学生でしたが)何となく叔母の家を訪ねました。
「○○おばさん!どこ~」と家に上がり、叔母の姿を見て"あれ??何か変だな??"とは思いました。
「どうしたの?具合悪いの?」
「そうなのよ・・ちょっとね・・」
でも叔母はお茶を入れておやつを用意してと動いてくれました。私も図々しい子でしたので(笑)
「今日は泊まってくよ」と従兄妹達の帰りを待ち、叔父に連れられ外食し、といつもと変わりなく過ごしていました。でも何故か夜寝る時には叔母との部屋が良いと言い、叔母と一緒に床に就きました。
すると箪笥の方からとても冷たい風が吹いてくるような気がします。
「どこか開いているみたい。冷たい風が入ってきてるよ」
確認しても窓も皆閉まっています。
「おかしいね」
そして寝ようと布団に入りましたがとても寒くどこかで水の音がします。隣の叔母に話しかけようと、見ると!叔母の足元に女の人が立っているのが分かりました。何か言いたげに叔母の顔を見ています。"これだ!この女の人のせい!"私は飛び起き、電気を付ようと思いましたが、余りにも悲しそうに見ているその人の顔に釘付けになってしまっていました。悪い霊ではなく何か言いたいだけなんだと・・・。
「叔母に何か用ですか?」と話しかけてみました。その女の人は私の方を見てそして、話をしてくれました。話し終え、叔母を起こしました。「叔母さんのお友達の着物が箪笥の中にあるでしょう?その人がね叔母さんに伝えて欲しいことがあるんだって。今会いに来ていたし、毎日来ていたみたいよ。だから具合が悪くなっていたのよ」
私は叔母に話始めました。叔母は驚きながらも分かっていたようです。しかし、話が出来なかったのです。叔母は霊話は出来ず、体で受けてしまう霊媒体質ですから・・。毎日、お線香とお茶を用意してご供養はしていたのですが。その友人は【病死】と叔母は聞いていたのですが、実は自ら、川に飛び込み亡くなっていました。
叔母は最後の顔を見ていませんでした。叔母や昔の知り合いは告別式の後で知ったからです。「身内だけで・・」と聞いたそうです。遠方の格式ある家に嫁いだ事もありどうしても疎遠になってしまったのだと・・同窓会も来る事なく、でも叔母とは手紙や付き合いがあったのですが・・。自殺の理由はここでは書けませんが、とても苦労したのでしょう。今は離婚も出来ますし、色々選択肢もありますが当時は中々、難しかったのでしょう・・。
「どうしてもその事が伝えたかった。着物は生まれ育った場所で灰にして欲しい。」
その事を伝えようと叔母の所に来ていたのです。全てを聞き、叔母は泣いていました。小さい頃から、線の細い子で、学生時代も叔母の後ろを歩くような大人しい方だったそうです。きっと、追い詰められてしまったのでしょう。自分でも精神的に参っていくのが分かっていたのかも知れません。ですから最後に叔母と会った時、「着物を・・」と無意識に言ったのでしょう。
その着物はお嫁入りの時、実家から持っていたものでした。亡くなった後、その着物と一緒に故郷に帰りたかったのです・・。叔母は翌日、子供の頃叔母や彼女や皆で撮った写真を探し、着物と一緒に供養する事にしました。叔母は地元に嫁いでいましたし、彼女に生家の菩提寺も知っていました。彼女は一人娘で、親も当然亡くなっていましたから、そのお寺に頼み供養してもらう事にしたのです。ご供養を終え、その夜、叔母と話をしていると、(また泊まっている私ですが・笑)その人の声がしました。今度は声だけです。私は言いました。
「他に何か伝えたい事はありませんか?」
「もう充分です」と帰ってきました。その時私は気が付きました。彼女の霊が来ている時はとてもとても寒いのだと・・。叔母にそう言うと叔母は熱いお茶を入れてテーブルの隅に置きました。私も一緒に手を合わせ、「熱いお茶飲んで・・暖かくなって下さいね。」 川の水は冷たかった事でしょう・・・。と・・。
今回はこんなお話なのですが、付け加えると、【供養】や【方法】は今、こうして霊能者となっても色々あります。でもそのベースは今回の話もそうですが私自身が一つ一つの霊体験の中で、霊に教わって来たのだと・・時々思うのです。ですから特に身内の霊に対しては私はついつい生前のように話かけてしまったりするのです。祖父の好物を見れば「お祖父ちゃんも食べる?」とか・・。水仙の花を見ると「お祖母ちゃんの好きなお花・・」とか・・。でもそれも意味のある事なのだと私は感じています。

さて、最後に叔母は霊媒体質ゆえに霊的な事がどれほど体に負担になるのか知っています。ですから、「私は大丈夫よ」と言っても、いつも心配してくれ、忙しい私の分もと、高齢になった今でもお墓参りにも行ってくれるのです。これが又、良いタイミングで(笑) こちらが「ちょっと限界かしら・・」ときつい時に限って連絡やメール(モダンでしょ!)が来て、「今日、貴方の分の行って来たからね。」と。ありがたいなと感謝しています。
そんな叔母と私の体験談から・・でした。では。