<死>はどんな人間にもいずれ訪れるものです。その人の生き方、財産等に関係なく、どうしてもやってくるものです。
何歳まで生きられるのか、本当にそれこそ視えざる所で決まっているものです。みなそれぞれ役目とご縁があり、この世に生まれてきます。この世を去るときもまたご縁で終わっていくものです。
私が霊視の中で見てはいけないものの一つが人の死、例えばいつ亡くなるかというような事です。人が知ってはいけないことの一つですね・・・。長い短いではかる事が出来ないものです。誰しもなるべく、悔いの無い様生きていければいいのですが、そうも行かない事もあり、結果、きれいな形で成仏出来ない事があり、色々な形で生きている私たちに霊障として出てしまうのですね・・・。
私が見てきた霊の中でも本当に気の毒な霊もいます。言い分もあります。しかし、肉体も無くこの世にそんな形でいては悪気が無くとも迷惑を掛けてしまいます。本来の場所に行けるようにするのが浄霊の一つです。
しかし、中にはもう話が通じない霊、悪霊たちが確かにいます。それは人(元)だけではなく、動物のような形のものであったり、それ以上のものであったり・・・。
この場合は<砕く>というか<散らす>というか・・・ようは<無>の状態にするしかありません。除霊の一つです。
死について・・・というタイトルでなぜこの様な話をしたかというと、生きている皆さんに死に方について少し考えて頂きたいなと思ったからです。
今、<自殺><殺人><事故>・・・色々な事が起きてしまっています。言いましたように<死>は誰にも訪れます。<死>については本来言ってはいけないことですが、特に<自殺>については自分で防ぐ事が出来ると思うのです。
これまで、そういう形で死を選んでしまった方々の霊を見てきましたが・・・苦しくて仕方が無く選んだとは言え残念ながら楽にはなっていません。
ご依頼者を通して見たものはさておき、私自身が偶然見てしまった自殺霊は、何度も何度も飛び込んでいました・・・。生きているより長い時間終わり無くその瞬間を繰り返さなければならないなんて・・・。
苦しみ方や出方はそれぞれですが・・・。誰かが気づき特別、供養でもしない限り、苦しまなければならないのです。今目の前にある苦しみから逃れるためとは言え、楽になれないのですから、<自殺>と言う行為は選ぶべきではありません。
気休めではなく、いつかは<死>が来るのですから、それまでその時まで生きていく事が大切なのです。それが又、役目であり、魂の修行でもあるのですから・・・。
そして、出来るだけ後悔が無いよう・・・日々暮らして生きたいものですよね・・・。
私も・・・そして皆さんも・・・。