先祖供養、水子供養等<ご供養>という言葉は多く使われていますね。亡くなった方への気持ち・・・冥福・成仏を祈りまた見守って下さる様にという気持ち。
一言で<ご供養>と言っても、例えばお葬式ひとつを例にとっても、宗教・宗派・地域等でその行い方も様々です。
仏教は通夜・葬式・四十九日・・・回忌となりますし、神道では通夜祭・神葬祭・・・五十日祭・・・一年祭・・・この様になってきます。細かい儀式や風習がこれに加わってきたりもしますし・・・。
海外ではまた違ってきたりもします。どれが正しい供養の仕方なのでしょうとお聞きになる方が多いのですが、これは正しいも正しくないもないのです。一番はご供養する気持ちが大切で、その方との思い出など思い出したりすることだけでもご供養になる時はなっているものなのです。
私が霊視を通して感じるのは生前仏教徒と言うか、家がそうですとそのご供養を・・・例えばお経を・・・また神道ですと祝詞、キリストですと・・・と言う事は確かに言えると思いますが、基本的にはやはり気持ちが大切で、心を込めて伝えれば伝わるという事なのね。生前それこそ宗教に強い思い入れでもない限りは・・・。
私は立場上、どうしても浮かばれない霊達を見てきていますが、直接ご供養の仕方が原因・気に入らなくて出てくるケースはそれほど多くないものです。勿論、<お墓が倒れている><違うお墓に入れられてしまった>などの場合はありますが、時々でもお参りしていればそんな事にはならないでしょうしね。
いずれにせよ<手を合わせる気持ち>があるかないかの事。そして、これは意外にお思いになる方もいるかも知れませんが、ほどほどに・・・と言う事が言えるのね。どんなに大切な方が亡くなったとしてもいつまでもいつまでも泣いて暮らして、毎日ほとんど手を合わせていても供養にはならないと言うこと。日々、元気に前向きに生きていく事もまた大きな供養の一つです。
長い歴史の中で戦や戦争も幾たび繰り返され、誰しもここに存在する以上膨大な数の<ご先祖>を持ち生まれてきています。お一人お一人供養する事は当然、出来ません。仏壇があるのでしたら、手を合わせ、お盆やお彼岸に行けるのでしたらお顔を見せ、明るく前向きで過ごしていればそれが供養の一つです。
何か良くない事があり、お墓等のせいではないかとお墓をいじり、結果大変な事になり私のところにくる方もいます。良い事のつもりが、かえって<寝た子を起こす>ということもあるのです。
どうしても浮かばれない、成仏出来ない方がいる場合、又因縁がある場合はそれなりの霊障が現れて、現れている本人や周りが気付くはずです。全然この手の世界に興味もない方でも不思議と来るものですから、まあ不思議と言えばそうですが・・・。
立派なお葬式やお墓をたてても浮かばれないときはそうですし、お線香一つでも上に上がれる事だってあるものです。基本的にご供養とは気持ちが大切で、その上でお供え物をしてお花を供えて・・・ということですね。
最後に、<水・花・ロウソク・線香・・・>こういったものには霊を慰める力があります。今スタンダードに使われているご供養に用いるもの・また儀式等にはそれなりの訳があります。
それについては、また機会があったらお話したいと考えていますが・・・。