生きるということ・・これは命在るものの基本であり、とても大きく奥が深く、一番身近なことですね。少なくともこれを読まれている方は今日も生きています!
息を吸い吐き生きていく、呼吸が止まれば死・・これはあまりに単純な言い方ですが、その本質には答えを出せないような様々な事柄が含まれています。
そして時にはその『生きる」という事を放棄してしまう方々も残念ながらいらっしゃいます。「生きる」事が何よりもつらく感じてその判断を誤ってしまうことがあるのです。私のお受けする御依頼の中にも自ら命を絶たれた人にまつわるご相談が多くあり、残念ながらその数は確実に増えています。それと同時に苦しみと後悔を背負い癒える事のない傷を負い生きていかなくてはならない人が増えているのです。その残された方が私のところにいらっしゃるわけです。そういう御依頼者には大きく2パターンあり、1つは自殺を食い止められなかった後悔の気持ちと亡くなった方の状態、真実を知りたい、そして成仏してほしい・・と願う方。もう1つは霊障が現れてくる方です。
どちらの場合も亡くなった本人と私は霊視、霊話等することとなるのですが・・・どんなに覚悟していてもその後、笑っていたり楽になっている方きれいに成仏なさっている方を少なくとも私は視たことがありません。自分の選んだことだから仕方がないと、言いながらも「後悔」が必ずあります。そしてとてつもない苦しみの中をさまよっています。多くのケースはその選択をする時にはノイローゼに近い状態になっていますから、命を絶った後に我に返って驚き後悔することになるのです。悪意はなく迷惑をかけてしまった人に謝まろうにも、残された方に気持ちを伝えようにもその方法が霊障になってしまうことが多く、また誰かを恨みながらそうした場合には恨まれた相手やその周辺に霊障として現れます。毎度ながら、霊の世界はケースバイケースですのでわかりやすく言うとの話ですが。
一番最近Wさんのケース。ある時から、見る見る体調を崩し職場でトラブルが続き気持ちは落ち込み生活の中で何か歯車がズレ始めたと感じていました。、更に片方の体に変調が起き始め(激しい頭痛、耳鳴り、首が動かない等)慌てて病院に行ったが問題はなく原因不明・・幸いこの方は以前から仕事恋愛等で御相談にいらしていた方で、あまりにおかしいので、まずは生活の基盤である仕事の件を相談しようと連絡をくれたのですが。久しぶりに会ってびっくり!!後ろに亡くなった方が憑いています!!ご相談に応じている中で伝えると最近首吊り自殺した親族がいることが判りました。でもね・・これが少し間柄が遠いのです。自分の家族にはわかってもらえないので、親族で一番わかってくれそうなところに出てきてしまったと言う訳。Wさんは先祖や縁、自分の生き方にまっすぐな方ですからここしか自分をわかってくれるところは無いと。私もその2~3日前から耳鳴りが酷く首も痛くなっていたくらいですからWさんの生活や環境がおかしくなるのも無理はありません。手を打ち解決。今は前にも増してWさんは意欲的に頑張っていますが早めに対応できたから良いようなものの災難なことでしたし、気が付かずにいたら・・大難になってしまっていたでしょう。供養することが出来る、生きている側がダウンしてしまうのですから本末転倒ですよね。
思えば、生きにくい時代かもしれません。矛盾や不平等・・理不尽、今大丈夫でも、金銭のトラブル犯罪、愛情や友情人間関係何もかも・・ややこしくてわかり難く、それらに明日巻き込まれてしまうかもしれません。
それでも生きていかなくちゃ。命を絶っても楽にはなれないのですから。
この世には、死よりもつらいと感じてしまうくらい、終わりが無いと感じるくらい、つらい試練も確かにありますよね。
呼吸をし食べて飲んで出して寝て・・そんな単純なことではありませんよね。
でももし、切羽詰まりそうになったら・・大きく深呼吸をして息を止めてみてください。苦しくてすぐ限界が来ます。そうしてもう一度落ち着いて深呼吸して・・命がある、生きていることを確認してみてください。馬鹿らしいこっちは切羽詰っているんだ!!と思うかもしれません。でも切羽詰っているんだからやってみても損はないでしょう?(笑) そして外に出て空を見てください。朝でも夕方でも夜でも。何かに気づく事がありますから。誰かの顔が浮かんだり昔の自分を思い出したり、答えが出たり・・。切なくてもつらくてもまだ死ねない!生きなくては!と。まだ間に合います。生きられます。
自殺した方の霊はみな、その時にはいわゆる鬱状態で発作的で冷静な判断は出来なかった。ゆっくり眠りたかったと私に言います。それ以外選択肢はなかったと。一人ぼっちだとも。そうですよね・・。
そうなってしまったら周りもどうにも止められないのだと言うことも悲しいですが事実です。空を見ても深呼吸しても・・死の魅力にとらわれてしまう事も。亡くなったかたを責めてもどうにもなりません。そうなる前に、時々でも生きることについて死について考えることが出来たなら・・そう思います。
生きる、生きてる事を感じるのは人それぞれですが、死は本来自分から選ぶものではなく訪れるものだと。美味しいものを食べた時「うま~~い!!」と幸せになれるくらい、単純な部分をどんな時でも持つことが出来たら、大切に出来れば生きる力も大きくなるのだと。
死は誰にでもいつか訪れます。
その日まで・・生きていかなくては。
今回このテーマにしたのにはそういう御依頼が増えていることもありますが、実は東日本大震災のこともあるのです。
もっともっと生きていたかったとはずの沢山の命が奪われてしまった惨劇を私達は見ました。この件は本来、こういう場所(HPボイス)で簡単に引き合いに出したり語ってはいけないのだとも重々承知し、痛感しています。
ある種の矛盾が生まれることも。
でも被災地の被害が伝わる中、私は自ら命を絶ってしまう方々の関係する御依頼をお受けしている現状があり、微力ながら「生きる」事について今一度みんなに、私自身も、向き合えるきっかけになれればと思いました。
亡くなった方と生きている方をつなぐのが私の1つの取り柄だと役目だと思っています。ご供養も・・。
人は色々な形で亡くなります。
どうか亡くなった方の霊が大切な人たちの元にありますよう、これからも共にありますよう、そして安らかでありますように 心からお祈り致します。
そして、色々な形で大切な人を失い見送らなければならなかった方々が、健やかに日々を送れます様に・・・願います。
大切な人はいつもそばにいますから。