霊能者ヴォイス

今回は私のアシスタントの1人、Aさんの体験をお話したいと思います。
私のオフィスのスタッフ、そしてアシスタントは全員、霊媒体質ではありません。でも皆、勘はとても良い方だと私は思っています。
そうでなければ勤まらないと言う事もありますね(苦笑)
日々、様々な鑑定や場合によっては霊的な執り行いにも同席することになるアシスタントは特に霊媒体質では勤まらないのです。
色々な霊能者がいらして、その解決方法、執り行い、例えば除霊や交霊・降霊等の方法もそれぞれでしょうが、私の場合はアシスタントやご依頼者を媒体にする様な方法では行いません。
それ故に、霊媒体質では勤まらないのです。
アシスタントに霊が乗り移っては大変です・・と言うよりはっきり言って面倒な事になってしまうからです(笑)
私のアシスタントに必要なのはその最中に何が起きようと動揺せず『気』をしっかり保てる精神面の強さですね。
皆、基本的には『視えない・聞こえない・分からない・感じない』体質ですが、それとは別の勘の良さは持っています。
それは自分自身に関わる場合に働くことが殆どです。
それもまたそうでなければ困ります。
自分の身は自分で守れると言う事は大切な事ですから。
勿論、執り行い等の時には、ご依頼者、アシスタントを守る事は私の役目、義務ですが、つまり霊媒体質では勤まらない、鈍感でも勤まらないと言う事です。

アシスタントのAさんの体験・・霊夢、・・それはこの世からあの世への別れ、彼女の御両親の死に纏わるお話です。 彼女の御両親はお父様が先にお亡くなりになっています。
死因は勤務先の慰安旅行、旅先での突然の心臓発作でした。
彼女が大学生の時でした。

お父様が亡くなる数日前、彼女は夢を見たそうです。
夢の中でAさんはどこだかは分からない見覚えのない屋外にいました。
どこだろうと思い辺りを見渡していると、足元、その場所全体に地面から煙、蒸気の様な物が少し立ち込めている事に気が付き、そしてどこからか犬の吠える声が聞こえ出したそうです。
その声は一頭ではなく、たくさんの声・・目の前に大きな野犬が何頭も現れ、その犬達は喧嘩、争っている光景になりました。
飼い犬ではなく『野犬』、彼女はそう認識してその光景を見ていたのです。
牙を剝き、唸り声をあげながら目の前で争っているのです。
でもその野犬達はAさんに襲い掛かる事はなく、彼女も自分が襲われる事は無いとはっきり分かっていましたが、その犬達が互いに飛び掛かりながら喧嘩をしているその姿、本気で争う唸り声、吠える声、聞いた事も無いその姿や声は、自分に向けられたものでなくとも、とても怖い・・怖い・・本当に怖い、そう感じながら見ていたそうです。
夢から目覚めても、恐怖心が残っていたそうです。
でも怖い夢は誰でも見る事がありますね。
彼女も特別、その夢を気にする事も無く日常を過ごしていました。

お父様は予定通り旅行に・・いつもの様に家を出て行かれました。
本当に何も変わった様子もなく、『いつもの様に』

その晩、Aさんは夢を見ました。
夢の中で彼女は誰かに追い掛けられ、逃げていました。
誰だかは分からず、でもとにかく誰かに探され追われているのです。
Aさんは必死で逃げて逃げて・・でも道は行き止まりになってしまい、逃げ場を失ってしまいました。
彼女は『もう駄目・・見付かってしまう・・』そう思いながらも、隠れるように、その場に座り込み、膝を抱えて体を丸めました。
その時、その『誰か』に肩をトントンと優しく2回叩かれました。
彼女は顔を見なくても、声を掛けられなくても、それが父親だとすぐに分かり、『お父さんだったの?もう!驚かさないで!もう!ああ、びっくりした!もう!止めてよねぇ!』そう言いながら顔を上げた所で、目が覚めたのです。
ひとり娘のAさんはすぐにお母様の部屋へと・・
すると彼女のお母様も部屋に電気を付け、起きていたのです。
「お母さん・・」
「何?Aちゃんも目が覚めたの?・・今ね、誰かが玄関を開けた気がしてね・・でも誰もいないのよ・・Aちゃんを起しに行こうかと思っていた所よ・・」

「・・・」
彼女は自分の見た夢の事はお母様には話すのを止めました。

そしてすぐに、電話が鳴り、その電話はお父様の旅先での急な訃報を告げるものでした。
Aさんは自分の見た2つの夢の意味を知ったのです。
突然の別れのショックは、大きく、辛かったことは事実ですが、でも電話が鳴る前、もう父に何かがあったと、どこかで分かってしまっていたと私に話してくれました。
その分、ほんの少しだけ、ショックは軽減したとそう言って・・それは彼女のお母様もそうだったと・・
勿論、私のアシスタントとなる前の話、もう随分前の話です。

お父様がお亡くなりになったのは温泉郷の1つでした。
私は初めて彼女からその話を聞いた時に、「野犬が争っていた場所に煙、蒸気が立ち込めていたのは『温泉』を意味していたのね」・・そう告げると、彼女は明るく「ああ!先生!そうだったんですねぇ・・温泉・・そうですよねぇ・・ずっとそれだけは気が付いてませんでした!犬の争う姿は、父の身に、家族に何か起きる事の象徴だったと思っていたし、・・やっぱり父が突然急死したと言う事は悲しさよりもその時は恐怖を感じる事だったし・・その後の夢はもうはっきりと父が最後に私を捜し会いに来てくれたと分かったけれど・・まあ、起きてから分かった事で、夢の中では私は逃げてしまったんですけどね!肩を叩かれるまで父だとは分からず、父だと分かった時には文句まで言ってしまったんですけどね!・・でもやっぱり悲しみよりも怖いと思う気持ちの方が父の死の知らせを受けた時は襲ったから。悲しさはその後の感情だったから・・お父さんが死んでしまった?どうなってしまうのだろう。何が起きたのだろう。驚きと怖い!が先でしたから。どちらの夢も悲しいと言うより怖いと感じる夢だったんでしょうね」彼女は少し笑いながらそう言いました。
実は、彼女のお父様は他人にも自分の死を知らせに行っていました。
お母様が玄関から誰か入って来たのを感じたその頃、家族で親しく付き合っていたお隣の家の奥さんも誰かが玄関に訊ねて来ている気配を感じ、家族を起していたのです。
親しかったので真夜中、明け方に近かったらしいですが、訃報をすぐに伝えに行き、そしてその話を聞いたのです。
そのご家族、特に奥さんは、お通夜、葬儀と親戚の様に手伝ってくれ、その後も彼女とお母様を精神的にも支えてくれたそうです。
自分が亡くなり、生活が変わるだろう家族の事を想い、一番親しいお隣のお家にお願いしにいったのだろうと、私と彼女は話しました。
仲の良い御両親、御夫婦だったそうです。
お父様は、それこそ子供よりも妻が好きな人だったと、彼女が今でも冗談半分に言うほど、仲が良かったそうです。

Aさんとお母様はその後、その家で2人暮らしになりましたが、彼女もきちんと大学を卒業し、そしてお母様もお父様が亡くなって1年後から仕事を始めました。
経済的には何とか働かなくてもやって行ける状態でしたが、勤めるようになったのです。
時代は今とは違いますが、それでも少し若い結婚をされたお母様、御両親は幼馴染だったそうで、お父様が就職されるとすぐに結婚されたのだそうです。
そしてAさんを産み、ずっと専業主婦として暮らしていたのですが、仕事を始めたのです。
明るく面倒見も良い性格のお母様は、働きながら近所の人達とも互いの家でお茶をしたり、それまで通り、日常も楽しみ、Aさんとも親子ですが女同士、買い物に一緒に行ったり、出掛けたりと過ごしていました。
しかも、近所の婦人会だけではなく、老人会の旅行にまで参加をして彼女を驚かせると言うか・・・お父様の分も楽しむかのようだったと聞きました。
勿論、お父様の分もAさんに愛情を注いでくれ、彼女は父親のいない寂しさに苦しむ事は無かったと言います。
お母様も悲しみに明け暮れる事はなく、とにかく明るく前向きで活動的だったそうです。

私のアシスタントとして、私と縁があったAさんですから、プライベートでは私と同じでぽんぽんと物を言う所があります(きつい?とも言う?・・・・私と一緒にいられるのだからそうですね・・スタッフ皆そうです。類友です)

「お母さん!それじゃまるで荷物持ちに行くようなものじゃない!何で老人会まで行くの?年齢が全然違うじゃない!」笑いながら言うAさん。
「だって、誘われたし、楽しいわよぉ、バスで行って一泊だからお母さんは週末はいないからね!」
お母様は老人会にまで参加です。平均年齢がぐっと下がりましたよね(笑)

卒業後、彼女も大手企業に就職をして働いていましたが、こんな事もあったそうです。
夕食は仕事もしていましたが、毎晩、お料理上手なお母様が作られていたのですが、ある日の事。
「お母さん、今日は職場のお友達と夕食を食べに行く約束をしているから、ご飯はいらないから!」
「あら、そうなの?分かったわよ」

その晩、思ったよりは早く友人との夕食を終え帰宅したAさんがキッチンに入ると、お隣の奥さんや近所のおばさん達がお母様と一緒にお鍋を囲んでいつもの様に話に盛り上がっていたそうです。
宴も終盤、彼女が挨拶をしながらお鍋を覗き込むと、もう殆ど何も無い状態・・
「ああ!アンコウ鍋じゃない!・・私の分は?」
「え?だっていらないって言ったでしょう?無いわよ」
「アンコウ鍋にするなんて聞いてなかったわよ!私の分は?」
「・・無いわよぉ・・いらないって言ったでしょう?食べて来たんでしょう?」
近所の人達も親子の会話に皆笑っている状態。
「食べて来たけど・・アンコウ鍋なら食べて来なかったわよ!朝言わなかったじゃない!私の分は?無いじゃない!どういう事?」

「ある訳ないじゃない・・お腹が空いているの?だったら何か作るけど?」
「空いてないわよ。アンコウ鍋なら食べたって言ってるの!」
「・・ないものはないわよねぇ・・皆で美味しく食べちゃったから・・少し残っているから食べる?」
「アンコウが無いじゃない・・野菜だけじゃない・・もう良いわよ!」
お母様の友達がいてもそうして話せるのは、それだけ皆お母様と親しく和気藹々とした関係だった事、彼女も子供の頃から可愛がって貰えていたからに他なりませんよね(笑)
この時の話は今でも時々する事があります。

「先生、私、食いしん坊なんですよねぇ・・子供の頃からお腹が減ると機嫌が悪くなるタイプで・・」
「あら、私はそれは全くない子供だったから・・私も子供の頃から今も食いしん坊だけれども・・でも別にお腹が空いたからって機嫌は悪くならないでしょう?」

「私は駄目です。母の口癖も、家に帰ると『Aちゃん、おかえり。お腹は?空いたでしょう』だったから。それに多分、母に似て本当は凄くお節介な所があるんですよねぇ・・気を付けないと!」
そんな事も話したりもしました。
自分は作る方より美味しく食べる方が専門だとAさんは言います。
亡くなったお父様もお母様が作るお料理が一番で、あまり外で食べる事は好まなかったと聞いています。
そんな、明るく元気なAさんのお母様ももうお亡くなりになっています。

お母様が亡くなる時にも彼女は夢を見ていました。
それはお父様の時とは少し違いはっきりと分かる夢でした。

亡くなる一年半位前、彼女は夢を見ました。
その時にはお母様はお元気で、何も変わりも無く、仕事もして・・Aさんもまだ私とは縁はなく、彼女も変わらず大手企業で仕事をしながらお母様と2人で暮らしていました。
Aさんが見た夢は・・・

Aさんとお母様は、並んで話しながら歩いていました。
その話の内容は今でも全く思い出せないとAさんは言っていますが。
大した話でもなく女同士の世間話だったのだろうと・・現実の世界と同じ様に親子で話しながら笑いながら歩いていたのだと。
夢の中では彼女の左側にお母様がいて、そして横に並んで歩いていたのです。
すると、2人の女性が現れ、お母様の左側に来たのです。
そして、いきなりお母様の左手を握ると、2人掛かりで引っ張ったのです。
夢の中のAさんは驚き、すぐに隣にいる、隣にあるお母様の右手を掴み、自分の方へと力いっぱい引っ張りました。
でも相手は2人・・こちらは1人です。
向うの引く力の方が強いのです。
「お母さん!何をしてるの!お母さん!」
彼女はお母様に言いながらなんとか自分の方へと・・必死だったと言います。
「お母さん!しっかりしてよ!」
向うは2人でもお母様さえ、自分の方へと来ようとしてくれれば、2対に2、負けないはずなのに、お母様は体に力を入れてAさんの方に来るようにとはしないのだそうです。
左側で引っ張っている女性2人の顔ははっきりは分からなかったそうです。
引っ張り合いが続きます。
お母様の体は意志を持たないと言うか、されるがままの状態だったと言います。
「お母さん!お母さん!しっかりしてよ!行かないでよ!行かないで!」

Aさんは必死です。
全身の力でお母様を渡すまいと必死で・・
でも彼女がしっかりと必死に繋いでいたお母様との手が・・・少しずつ向うの力に負けて行きます。
繋いだ手が・・ほどけて行くのです。
その時に彼女は「ああ・・もう駄目なんだ・・きっともう・・駄目なんだ・・・お母さんは遠くに行ってしまうのだ・・」
夢の中でそう感じ始めていました。
次第に意識が夢から覚め始め・・お母様の手は彼女の手からゆっくり離れて行きました。
その悲しさ、恐ろしさ、絶望感は言葉には出来ないものだったと。
そして完全に目が覚めたのです。

Aさんはお父様の時とは違い、はっきりと、「もうお母さんと過ごせる、いる時間はそんなに長くはないだろう」 と確信したそうです。
・・辛い確信です。
でも彼女はその辛さの中、自分の気持ちを行動に移しました。
小さな子供ではありません。
もう対等に充分大人の女性として成長していたAさん。
もうずっと長くは一緒に入られないだろうと悟ってしまったAさん。
お母様に悟られる事なく、少しずつ心の準備が出来て行ったと言います。

ある日、彼女はお母様に言いました。
「ね、お母さん、たまには一緒の部屋で寝ようか」

Aさんは、元気な何も変わらないお母さんと一緒に、子供の時の様に一緒に、家で眠ることも出来ました。
それは今でも彼女にとって本当に幸せな思い出となっています。

それから約2か月後、元気だったお母様の体に末期癌が発見されました。
軽い咳が止まらないので、風邪を拗らせてしまったのだろうと病院に行き発見に至ったのです。
働いているお母様は職場などの健康診断もきちんと受けていましたが、それまでは見つかる事も無かったものでした。 夢を見た後すぐに病院に連れて行っても結果は同じだったでしょう。
その事には彼女は後悔はないのです。
末期癌でしたが、発見されるまで、お母様は体調不良を訴える事も無く、お得意の料理を美味しく作り、美味しく食べ、笑い、仕事もして、お友達とも楽しく過ごしていたのです。
その事について彼女は今も、見つかるまでの間にお母様が、例えば彼女に内緒で痛みと戦ったりはしていなかったと言い切れると言います。
直接、聞いた事はないけれど、そうだったと・・見つかる寸前までいつも通りに過ごせていたと言います。
私もそう思います。

夢を見ていた彼女は、この事だったのだと、事実を、お母様の余命を普通よりは冷静に受け止めることが出きました。
闘病生活は本人が一番辛いですが、家族や周りの人にとっても精神力を必要としますね。
彼女は彼女なりの愛情と心でお母様と残りの時間を過ごす事が出来ました。
闘病を支えました。
それから約1年の闘病生活を経て、お母様はお亡くなりになりました。
お父様が急死した後、母と娘、2人でずっと暮らして来たのです。

見送る側に全く心残りの無いと言う事は・・現実的に無理ですね。
誰でもきっとそうでしょう。
そしてAさんのお母様も、本当にまだ若くして亡くなったのも事実です。
若いので進行も早いとドクターにも言われたそうです。
それでもAさんはその夢を見ていたので、心の準備が出来ていたのは結果的に良かった、救われたと言います。
Aさんは喪主を立派に務め、お母様を見送りました。
近所の人も元気付けてくれたそうです。
生前、お母様が子供会から老人会にまで参加して皆を楽しませていたからですね。
面倒見の良い性格から、皆に慕われていたお母様。
彼女はその死を受け止め、しっかりとした気持ちで見送ることが出来たのです。
それでも、暫くは夜になると涙が出て来て泣いてしまう日も続いたと言います。
当然ですね・・
大切な人を失った寂しさや悲しみには、タイムラグがあるものです。
葬儀や納骨を済ませ、何とか一息付ける頃から、寂しさや悲しさは感じる事が多いものです。
昼間は仕事をしているので良いのですが、夜はやはりそうなってしまったと。

Aさんはここ数年、少し鼻炎気味になる時があります。
「昔、母が亡くなった時に夜になるとベッドで泣いていたせいで、鼻が弱くなってしまったと思うんですよ。後遺症じゃないかしら?」

笑いながらそう言います。
私は花粉症だと思っています(笑)事実、春先にそうなるのですから。
本人も最近は「私、やっぱり花粉症ですよね」と認めてその時期にはマスクをしていますが。
ちなみに私は花粉症などのアレルギーは全くないのですが、その辛さは分かります。
それはご依頼者や霊が花粉症等の場合、ご依頼中に限り、同じ様な症状に見舞われてしまう事があるからです。
ご依頼の関係でそうなるので、季節などには全く関係なく、体感させられてしまう事があるのです。
他の事もそうです。

お母様が亡くなってから数年後、縁があり、彼女は私のアシスタントとなりました。
私の所はどのスタッフともそうですが本当に『縁』があってと言う言葉に尽きる所があります。
これまで一度も求人広告に「スタッフ募集」と出した事などありませんから(笑)
互いに必要な縁で導かれ、私は今もスタッフに支えられながらご依頼を熟すことが出来ています。
Aさんの場合も、大手企業勤務から『霊能者のアシスタント』
ある意味、今時の言い方ですと「ありえない~!」と言われてしまいそうですね。
本人も想像もしていなかったはずですね。
縁です。
ご依頼者の方々ともご縁だと思っています。

彼女がアシスタントとして働く事になり少しした頃でした。
ある晩、私のベッドの横に和服を着た少しぽっちゃりとした女性が現れました。
勿論、霊です。
そして私に微笑み、お辞儀をすると、会話をする事も無く消えてしまいました。

翌朝、すぐにAさんに聞きました。
その日の鑑定の同行はAさんだったのです。
「お母様、命日いつかしら?」
「え?あ・・今月です。もうすぐです」
「ねえ・・着物・・」
私は着物の色と描かれていた模様を伝えました。
お辞儀された事も。
「先生!母です。・・母の着物・・棺に入れた着物です。それ・・母です。母は・・ぽっちゃりです。はっきり言って太っている方でしたから」
笑いながら言うAさん。
私は彼女の御両親の写真などは見た事もありませんでした。
「そう。やっぱり。Aさんは細いのにねぇ・・父親似なの?」
「そうですね。・・先生、母の命日供養、お願いできませんか?」
「・・私で良ければ喜んで」
「ついでに父の供養も!」
「ついでじゃなくてお父様はするのなら命日にお受けするわよ、命日にしなければ命日供養にならないじゃない。夕べ会いに来てくれたのは命日の近いお母様だしね。お父様は来なかったから」

「あー、・・父は私より母の方が大事だったからかしら?」
「え?」

その日初めて彼女の体験談、霊夢の話を聞きました。
とても仲が良いご夫婦だったことなども聞く事になったのです。
その日は移動中にそう言う話をする時間もあった事も偶然ではないですね。

そしてその年のある日、夜、私の自宅の玄関から誰かが入って来る気配を感じました。
それは誰かを確認する間もなくすぐに消えてしまいましたが、男性だとは感じ取ることが出来ました。
遠方のご依頼が立て続けにあり、執り行い等も続いていたのですが、その過酷な日々、忙しい日々がやっと終わり、明日明後日は久し振りにオフと言う日でした。
電話が鳴り、出るとAさん。
「先生!うっかりしてました!明日、父の命日なんですよ。今、急に思い出しました!・・先生?・・明日、オフですよねぇ・・体や霊力が大丈夫でしたら命日供養、引き受けて頂けないですか?・・急ですいません・・本当にすっかり忘れていたんです」

「忙しかったものね、大変だったから・・忘れてしまったのも無理ない。そう、明日なのね。ばっちりね。勿論お受けします!明日、御供養するから。今、私の所に来たから。お父様」
「ええ?」
私は話しました。
「父ですね。間違いなく・・図々しくてすいません!自分から先生の所に催促に行くなんて・・」
笑いながらそう言いました。
「お母様と同じ様に、一緒にして欲しかったんでしょう?仲が良いから。同じ様に私に御挨拶にも来てくれたんでしょう。律儀じゃない!」

「そう言って貰えると!」
2人で笑い合いました。
Aさんもその後、寝る前にやはり玄関で、所謂、ラップ音を聞きました。
それも間違いなくお父様です。

彼女は普段は一切夢を見ない体質です。
ですから夢を見た時には何か意味があるのです。
霊媒体質ではありませんが、自分に関わる事に関しては『霊夢』と言う形でお知らせや警告を受ける体質なのです。
ラップ音程度は感じる事もありますが、それも滅多にありません。
今は私のアシスタントをしていますから、私個人に関わる事の夢も極まれにですが見たりします。
故に、優秀です(笑)
滅多にありませんが、きついご依頼などを終え、私の体調などが本当に最悪になりそうな時には、なった時には、私が言葉にしなくともそれを把握してくれているのです。
そしてプライベートな部分もサポートしてくれます。
その殆どは霊夢で知らされるのです。
アシスタントとしてのキャリアももうベテランです。
それだけの年数が経ったと言う事ですね(歳を取ったとは言いたくない・・笑)
彼女の霊夢の基本は、やはり自分に関わる事です。
私は時々参加です。

もう昔の話になりますが、今回はAさんの体験した霊夢の話をと思い、彼女の許可も得て書く事にしました。
私がこうしてHPに何かを書こうとする時には伝えたいと思う事がある時も多いのです。
誰にと言う訳ではありません。
そうだ、今、この事を書こうとふと思うのです。
ですから、殆ど書かない時期もあり本当に不定期です。
アナログと言われようとも、古いと言われようとも、SNSの様に、例えば交流しながら共有をしながらと言う事は、私はあえて避けています。
それが悪いのではなく、単純に私には合っていないと言った方が良いでしょう。
こうして書きたいと思った時に書き、縁がある人が読んで下さればそれで良い・・そう言う感じでしょうか。
それが私の霊能者としての『縁』の在り方です。

天災も続きますね・・
別れは余りにも突然に来てしまうものだと、誰しもが改めて痛感しなければならない様な事が世界で、日本で、起きています。
特に自然の力の前では私達人間は成す術もないと・・そう痛感します。
私は霊能者として、ある時は、あの世とこの世を繋いだり、そして視えないもの達と接する人生を歩いています。
それは私の役目であり生業です。
私には、この世から天災を一切失くすなどと言う事は出来ません。

私に視えるものの中には、生きている人間の心や心の闇もあります。
あの世とは関係なく、この世界に存在する危険や災難、それに伴う悩みを解決するのも私の役割、お受けできるご依頼の一部です。
それは年々増えている様に感じます。

天災、人災と言いますね。
天災は止めることは出来ません。
人災は止める事が可能とされていますし、そう社会全体で努力もしなければいけません。

ストーカー事件なども増えています。
でもそれも昔は全くなかったと言う事でもありません。
ストーカーと言う言葉がなかっただけで、粘着気質以上の人格的問題のある人間はいつの時代も少なからず存在しました。
極端な例ですが、私が受けたご依頼の中に成仏出来ない古い女性の霊が何人か、つまり複数で存在して、その霊障に悩まされている一家がいました。
霊視によって分かった事実は、その一家の先祖は昔、ある土地の豪族でその先祖の1人の男性が、本人の意志とは関係なく気に入った女性をさらう様にして思うがままにして、弄び、囲い、今で言えば監禁ですね・・そう言った事を繰り返していたのです。
その件は、ここでは詳しくは話せませんが、ただ時代の権力者、その時代は許される面があったでは済まないレベルの事を繰り返していたのです。
その男性によって人生を命を奪われた女性の怨念が何代にも渡り、その一族に霊障を引き起こしていたのです。
時代や権力だけではありません。
人格的にも問題があったのです。
その時代の権力がそれを後押ししたと言う事はありますが。
精神疾患がある場合には病院での専門の治療も絶対に必要だと私は思っています。
霊障と精神疾患は似たような症状に襲われます。
私は、霊視をすればどちらなのか判断は付きますし、それによってアドバイスもしていますが、両方を持ち合わせている事も多々あります。
それはそうですよね・・普通は霊等ばかり視えていれば神経も参って来る事もあるでしょう。
その場合には、霊障の方を取り除けば、それまでにどの程度神経が参ってしまったかの度合いに寄りますが、でも次第に精神的な疾患は回復します。
元凶が無くなるのですから。

話が少しややこしくなってしまいましたね(笑)
戻しましょう。
そう言った、人格障害を伴わない人達の例えば恋愛感情についてですが・・
・・・相手の心変わりや別れ、自分の気持ちを受け入れて貰えない片思い・・心に悲しみと絶望が押し寄せます。
いつの時代もそうですね。
恋愛中は人生バラ色、失恋すれば一気に闇の中です。
生涯のパートナーとして選び選ばれる結婚も、子供が生まれたとしても永遠を保証する物ではありません。
でも、殺意にまで発展する闇まで人の心に押し寄せさせてしまっては・・それはもう思いが届かない悲しみ、失恋の悲しみとは違う感情です。
今はそれが少し増えている様に感じざるを得ないのです。
私の所に寄せられるご依頼も、昔から恋愛、結婚、離婚問題はありますが、その内容が少し変わって来ているように感じる事も多いのです。
時代が変わったからでしょうか・・それも確かにありますね。

いつの世も多くの場合、どんな別れも・・別れは突然と言えば突然です。
ショックや心残りや後悔、未練がもあったとしても・・それもまた当然なのです。
でもそれに心の全てを呑まれてしまって、この先、一生、一点の光も見えないと思い込み心の闇の赴くままに行動に移してしまっては・・・余りにも悲し過ぎますね。
本来、愛する事、愛せる事は素晴らしい事なのですから。
自分以外を誰も愛せない人間よりも人として素晴らしい事なのですから。

Aさんは、特にお母様とのお別れは霊夢と言う形ではっきりと知らされていました。
その別れはこの世での別れではなく、『死』でした。
それでも、心の準備をする時間があったとしても、やはりそれを知る事自体、別れは突然で、その悲しみは避けられるものではなく、やって来るのです。
Aさんも心の準備が出来た事は結果的に良かったけれども、夢の中、お母様の手が離れて行く時の辛さは忘れることは出来ず、映画やテレビなどで例えば、崖などから落ちそうになっている所を、引き上げようとする様な場面はやはりずっと苦手だったと言いました。
特に助からないケースは今も好きではないと言います。

いつが最後になっても良い様にと人と接しながら生きて行く事はまた違います。
それはそれで違いますよ。
でも命はいつか終わります。
その終わり方も、運命と言って終わりにするには納得するにはあまりにも過酷な事もあります。
それを霊視以外で目の当たりにする事も増えてしまいました。
私は殆どニュースもテレビも見ない生活の日もあります。
大きな執り行い(除霊や淨霊など)を伴うご依頼のある時等は、一切見ません。
霊よりも人間の方が恐ろしいと思ってしまうからですね。
でもその霊達も、元々はこの世に存在していた人間なのですから、行きつく所、恨みや怨念は恐ろしいと言う事になります。
私の場合はそれ以外も視ることありますので、ご依頼を通して最後には暖かい気持ちになれる事も多いのは幸せだと思っています。

Aさんの話も、心が暖かくなる面も、今こうして書いてもあります。
まだ学生だった娘を残し、妻を残し、この世を急死と言う形で、しかも旅先で去らなければならなかったお父様の魂は、きちんと最後に我が家に帰ったのです。
どこよりも大好きだった我が家と家族の元に『帰宅』したのです。
いつもの様に『行って来ます』と言って出掛けたお父様は、『ただいま!』ときちんと帰って来たのです。
夢の中で娘の肩を叩き『ただいま』と言ったのです。
そして隣の家の人にも挨拶をしたのでしょう。
『ただいま』・・

別れは辛く寂しいものです。
この世での別れは相手が生きているからこそ、会えるはずなのにと諦めきれない事もあるでしょう。
縁があったから出逢えた・・その縁がこの世では終わってしまった。
その終わった縁を因縁や悪縁に変えてしまわない様にして欲しいと私は思います。しっかり終わらせるべきものは終わらせて欲しいと思います。
縁があればまた新たな縁で出逢える事もあるでしょう。
恋愛だけに限らず、喜ばしい偶然の再会もこの世には存在します。
その場合にはそれは新たな縁・・
悪縁や腐れ縁を生み出さない為にも終わりが来た時にはそれを認めて歩き出して欲しいと思います。
終わるべき時を迎えた縁は辛くとも終わらせて、まずは1人でも歩き出して欲しいと思います。
その先にまた出会いはあります。この世はそうなのです。
その中から、良縁を選択する事も大切です。
心は弱っている時には、悪い縁も残念ながら駄目押しの様にやって来てしまう事があるのもまた事実ですから。
悪縁だと感じるものは切る努力もして下さい。その切り方にも相手に応じて考慮しながら・・・逆恨みを買う事が無い様に言葉や行動にも気を付けて下さいね。

そして、『死』と言う別れは、この世の別れとは違い、『縁』としては残る事も多いのです。
それは親子や夫婦、友人・・魂は存在します。
でもそこにはあの世とこの世の違いがあり、この世を生きる人達にはその後も新たな縁もやって来ます。
生きたまま、この世で終わる縁もやって来ます。
今この世で結ばれている良い縁も育てて行かなければいけません。
それが、あの世とこの世の違いですね。
どんなに最愛の人だったとしても、どんなに辛い別れだったとしても、亡くなった人達とだけと繋がって生きて行く事は出来ない、してはいけない事なのです。
Aさんのお母様は再婚の縁はなく、夫の死後、彼女と2人で暮らしていましたが、たくさんのこの世の縁に囲まれ、毎日を生きました。
自分がいらないと言っておいて『私の分は!』などと、筋違いな?我儘を言う娘と一緒に!
亡くなった夫との縁に縛られた訳ではありません。
もしかしたら、亡くなるまでには、Aさんに紹介するほどまでの縁ではなくても、再婚話までは行かなくとも、恋人がいた時期もあったのかも知れません。
それはそれで良いのです。
彼女もそう言っていますし、亡くなったお父様もそれを恨んだりする筈もないのです。
色々なケースがあります。
でもAさんのお父様の魂はそうなのです。それでもお母様とも繋がっていたのです。
あの世とこの世の繋がりは縁はこの世の者同士の縁とは少し違うのですから。

日常の供養と言うのは、手を合わせる事だけではありません。
思い出話、特に故人との楽しい思い出話をする事も供養になります。
Aさんと、彼女の御両親との思い出話になる時があります。
そしてそれは不思議と月命日だったりする事も多いのです。
或いは、その後、彼女はプライベートで何かの決断をする事になったり・・
他のスタッフや友人などともそう言うことがあります。
亡くなった人の話が出て・・それはやはりひとつのメッセージなのです。
大切に思う人との魂は繋がることが出来ます。
繋がっている事が多いのです。
アンコウ鍋ではなくとも、アン肝等を食べる機会がある時に、Aさんが一緒の時には必ず「我儘娘!」と私は彼女に言い、彼女の「本当にそうでした!」と笑って言います。その瞬間に、供養をしている事になるのです。
別にお母様は特別な好物ではなかったアンコウが供養に繋がるのです(笑)
アンコウが好きなのは娘の彼女です(笑)

霊夢と言うタイトルで書き出しましたが、話はここに到着してしまいました。
Aさんは今、御両親のお墓の移動を検討しています。
私の霊視でもまだその時期ではないのですぐにと言う事にはなりませんが、近い将来に諸事情もあり移転を考えています。
その時期が来たら、彼女はきっと霊夢を見るでしょう。
霊媒体質ではない彼女の特技ですね。

私も親族や知り合いの死に関しては、色々な体験をしています。
それはまた機会があればお話ししたいと思っています。

最後に・・視えなくても聞こえなくても、その体は戻らなくとも・・魂は愛する人の元に戻ります。戻ろうとします。
それが出来ずに苦しんでいる霊達を愛する人の元に、或いは望む場所に戻し、そして苦しみの無い世界・・上へと上げる事も私の1つの大きな役目だと思っています。
その事によって、この世を生きる人達の心や人生にも光が射し、幸せが訪れますようにと・・・。